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makie.nishikawa

Author:makie.nishikawa
2014年 BlissBaby マタニティ・産後ヨガ教師資格取得(24 時間)
2017年米国クリパルセンター公認ヨガ教師資格取得(200時間)
山の上のヨガルーム、Yoga Lantern(長野県御代田町)主宰。
2児の母。

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「ありのまま」が訪れるとき~三浦敏郎先生のクラスを受けて

2020.09.19 18:43|ヨガと身体と生活の考察
こんばんは。
ヨガランタンのにしかわまきえです。

よく考えたらいつも夜にアップするのに「こんにちは」と書いてました。


今日は9月19日です。
ほとんどの人にとっては他愛ないある土曜日の1日だったとは思いますが
(運動会だった人も多かったようです)
私にとってはひとつの節目。


今日で、16年間続いたという東京のクリパルヨガスタジオが
一旦閉鎖になります。

**************


午前中に、師匠・三浦敏郎先生の最後のスタジオクラスを
オンラインで参加しました。


終わってから涙が止まらないわたしに、
娘がひっきりなしにインタビュー。


悲しいことがあったのか、
先生から嫌なことを言われたのか(←(笑)
悲しくないなら
どうして泣いているのか。



「お母さんは、ユミちゃんみたいにいっぱい、泣けない。
泣けないのは、苦しい。
泣けるって、いいね。
本当の自分になれるって、いいよね」




と答えました。







久しぶりに、、、
久しぶりに

「触れた」という感覚、でした、自分に。




筆舌に尽くしがたいとは、このことかもしれませんが、敢えて書くのならば。



クリパルヨガの学びにおいて、何度も何度も何度も何度も何度も
言われてきたことを
師匠は、もう最後にゴリ押しだよとでも言わんとばかりに
張りのある声で、伝えてくれました。



ポーズのエッジで保つということは、がむしゃらになって頑張って、
もう先がないのに必死になって「もがく」ということではない。
私たちは、限界を超えてもっと、もっととがんばることを
無意識にすり込まれてきた。


エッジは、そこではなく、一呼吸するたびに、また可能性が広がっていくところ。
変化を目撃できるところ。
エッジは、苦しい。大変だ。
でも、
可能性があるからこそ、そこにいる。





もうこの話だけでわたしにとっては、参加する意味は十分だったのだけど
そのあと、このたった60分のクラスで、
200時間のトレーニングの時なみに
自分の奥底に降りていくのを感じました。




***********


先日、生徒さんに「ありのまま」の自分、ということに関して
質問を受け、わたしなりに返答しました。



「ありのまま」というのは、伝えるのが難しい。
理解するのも難しい。
「ワガママ」とは違う。「飾らない」とも同一ではない。

ただただ、わたしたちは、
自分の「ありのまま」を知らないのではないか。


だからこそ、ヨガで自己探求する。
それを抜きにして、社会との折り合いはつけられない。




***********



すべてのポーズが終わったとき、師匠に問いかけられました。
「受け取ったものは何か」



そのとき、わたしの中には、何も言葉がありませんでした。


体験が終わったあと、


大きな球体状のものが、いれかわりたちかわり、
自分の瞼の裏側に、訪れては消えていく。
その現象をただ目撃している自分がいるだけで、

何かを受けとったとか、
そんなこととは、無縁のなかに自分がいるような気がしました。


それでも、
そこには罪悪感はなかった。
 (私にとって意味も効果も成果もないのに、罪悪感がないというのは
本当に珍しいことで)
その不思議さの中に漂っていると


突然、



「ありのまま」



という言葉が訪れ、その瞬間、涙がこぼれました。


呼吸をするたびに、自分の力みを感じた60分間でした。
奥の、奥の方にある、
どうしても外れない、自分へのジャッジメント。
急き立てるような、責め立てるような。
無意識の彼方にあるもの。
それを一呼吸ずつ、意識でほどいていきました。



言葉で思考してしまう人間という動物の、そして
言葉ですべてをコントロールしようともがいてしまうわたしの、
奥の奥にあるもの。


そこには、言葉がなかった。
でも、価値があった。
価値という言葉すらもない場所にある、自分の存在の根源に関わる何か。
ここで価値があると書けば、
はかなく消えていくような、サットヴァな何か。



ありのままのわたし。




こんな体験に連れて行ってくれる場所は、もうきっと他にはないんだろう。



これからも、何度も罠にはまり、
つまづきながら、進むんだろう。
気づいた途端、
明日にもまた、路頭に迷うのだろう。


でもそれでも、わたしは、また自分の「ありのまま」に触れたい。


どんなに年をとっても、誰にも理解されなくても、
その希求を捨てないで、忘れないでいたい。


親よりも、学校よりも、何よりも、わたしを育ててくれた人。
心から感謝しています。


*************


クリパル・ジャパンは、10月からオンラインクラスを充実させていくようです。
私もマンスリーチケットを買いました。
簡単に参加できます。
一度きりの人生、皆さんもぜひ、自分に触れる体験を。
そしたらきっと、世界が変わり始める気がします。


10月スタート クリパルの新しいオンラインヨガクラス




読んでくださって、ありがとうございました!




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蝶々を、観る。

2020.09.13 17:02|ヨガと身体と生活の考察
こんにちは。
ヨガランタンのにしかわまきえです。

今日はちょっとのんびりした話を。。。
と、いつも思うんですけど
大抵はいつの間にやら、ガッツリ深い話になってしまいます。


性分ですね^^;


でもよかった、そんな私を受け止めてくれるクリパルヨガに出会えて
クリパルヨガや、その仲間や、
このブログ、単に私という人間に
共感してくれる人に出会えて。


何度も書いてるかもしれませんが、


幼少の頃、わたしは
そういう哲学的+感覚的な深い話を好む傾向があって、
しかし
まわりの大人には、(もちろん子どもにも)
なかなかそういう話が合う人がいなくて
けっこう孤独でした。


そんなわけで、どこかに、こういう変わった子どもがいるはずだ!!!
と思って、保育所で働いてみたり
キッズヨガやりたいなんていって
右往左往してみたりしております。


そしたら、
驚くべきことに、



2歳児なんて、みんな、話が合う(笑)

学校行ってない子、
行きたくない子と、やたら話が合う。





なんでしょうね~

世の中を動かしている人たち以外は、みんな哲学的+感覚的ってこと?



子どもは、本当に思慮深いです。
あ、蝶々だね
と言うと、まず、止まって、蝶々そのものを観る。

蝶々とひとつになる。


わたしはその「それ」の名を呼び、
それがそういう名前なのだと暗に示唆しながらも、


彼らがその、「間」で感じている
言語になる以前の、
命のふるえ、いきづかいを知覚し、
認知し、それによってもたらされる驚きや快楽や恐れ
をいっしょに共有します。


大人は、「蝶々だね」
と言うと、
その「間」を味わうことなく、
ああ、モンシロチョウだね、最近よくいるね、キャベツ畑があるのかな
という情報に移行してしまう。
でもそれくらいならまだいいけど、
往々にして、蝶々の存在を、スルーしてしまう。



自分もこうして社会に出て、適応を繰り返すうちに
ひとつひとつ、大切なことを
スルーするようになりました。



わたしは今でも、憧れているのだと思います。
哲学的で、思慮深いひとに。


読んでくださって、ありがとうございました^^
土曜日にblogを書かなくてごめんなさい。
また、来週はきっと土曜日に。


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疎外感を感じるとき

2020.09.05 23:58|ヨガと身体と生活の考察
こんばんは。
ヨガランタンのにしかわまきえです。

さて、今日は何を書こうかと
今まで書いてきたことはなんだったかな、、、
と、過去を遡って、タイトルを振り返ってみました。

すると、、、、


親しみのもてないタイトルばかり。


その時はこれでベストだと
思ったのだろうけど、なんてセンスレス。


自分を、けなす。



それに、最近のわたしは、どうだ。

花粉症がひどいから
屋外でもマスクをつけていて、
暑い苦しいとイライラしてばかり。

酸素供給量が少なくて、いろんなことを忘れやすいし、
話も支離滅裂
気が付くとスマホでストレス解消。

すべてのものの扱いが雑。
お皿の置き方、
お茶の淹れ方、
人への気配り、
一瞬への意識の向け方が、雑。


こんなわたしになりたい訳じゃなかった、


わたしを責める。



ここのところ、そんなことを繰り返してきたような気がします。


そして、誰と会っても、心通わせることが
出来ないような疎外感を感じていました。

誰かに仲間外れにされたとかそういうわけじゃないんだけど
自分という存在が
世界からくりぬかれて
ひとりぼっちであるような。

小さい頃には、おなじみだった感覚だけど
なんだか久しぶりに味わってるなという感じです。


そんなとき、本日、
こんな本が届きました。

Yoga Nidra



iRest Yoga Nidra

これはAmazonでぽちった本ではなく、
出版のためのクラウドファンディングに参加して
やっと手元に届いた本でした。

見た途端、そのたたずまいに
射貫かれてしまいました。

丁寧につくられたもの独特の
緊張感をまとっていて、
自然と、ページをめくるその指先に
意識が宿るのを感じました。


まだ全部読んでいないので、背表紙のことばだけ。


In the end, we realize how simple life is when we accept this moment
just as it is without pretending to be other than who we are.
-- Richard Miller, Ph.D



ふう、、、

自分が感じていた疎外感は、
どこかに所属できないとか
友達と通じ合えないとか、そんな
具体的な状況が招いたものではなく、


そのままの自分と世界を受容できない、
私から受ける疎外感



だったのだなと思いました。


*************


ヨガランタンのホームページにこんな言葉を
添えています。


なりたい自分は、すでにあなたのなかに。



誰から借りたわけでもなく、
自分の内から湧いてきた言葉だけれども、
未だにそれはつまり
どういうことなのだろうかと
よく考えます。


一瞬だけ、訪れては、また去っていく真実。


真実は単純なのに、
生きる道中は、罠ばかり。


「成長とは、大きく、高く、美しく、外へ外へと伸びていく力である」

そんな思い込みが覆され

「成長とは、深く、微細に、内へ内へと戻って行く力である」


に軍配が上がる瞬間があります。
それが真実なのだ、という感触も。



雑な自分を、ただそのまま、迎えいれる練習をしよう
と思います。丁寧に。




まったく万人受けしないblogを
今日も読んでくださってありがとうございました^^
感謝です。


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「アパリグラハ(不貪)」~ これでいいのだ!

2020.08.16 20:32|ヨガと身体と生活の考察
こんにちは。
ヨガランタンのにしかわまきえです。


やっと信州にも夏がきました。暑いです。
でもうちは標高が高いので、ギラギラと太陽は照りつけるけど
すっと風が吹くと、とても涼しくて。
なんとも気持ちよく過ごしています。

暑い暑いと言えることが嬉しくて、
朝から汗だくで草刈りがんばっちゃいました。


さて世の中は、コロナコロナで軸がさだまらず
もはやコロナ情勢の全体像を追えていないわたしです。


ヨガ教室も、こっちで開催中止の連絡がきたり
(御代田町の「地域のゆとりヨガ教室」は8月中、また中止だそうです)
こっちもダメかと小諸から連絡がきたかと
思ったら、また開催すると連絡がきたり。


そんなことにも慣れっこになってしまいました。


テレビやネットなどで
情報を知ることは大切だけど、
あまりにもその情報自体がブレブレだと、振り回されてしまいます。
矛盾を感じたり
それでイライラしたり
不安にさいなまれてばかりいては、、、、


人生がもったいない!
人生を楽しまなくちゃ!




↑息子にいわれたことば(笑)



というわけで、
何が出来るわけじゃないんだけど、
しばし、目を閉じて内側に目をむけるとか、
少しだけ
近所の人と関わり合ったりとか、
家族や、大事な友達と、話したりとか。


そんな時間を大切にしています。


世界平和は実現できないんだけど、
「でも、それで十分、世界平和に貢献してるよ」
と自分に言ってあげる。


自分は世界を構成するパズルの、たった1ピースだから。
パーフェクトじゃなくていい。

これでいいのだ!






******



むかしはそんなふうに思えなかったなあ、と最近よく思い出しています。
高校生くらいのとき、
いろんなことにムカついていて
でも何もできない自分が不甲斐なくて不甲斐なくて
世界の貧困層のことを思って
なぜ自分はこんなにぬくぬくしてるのに
不満ばかりで満たされないのだと、
自分を責めて責めて、自分がそれで泣いていることすらも
腹立たしかったのを覚えてあります。


さいきん、過去発掘のブログばかりですみません!



わたしが、今のように「これでいいのだ」
と執着を手放していられるとき、


「アパリグラハ」(不貪、無執着)


という言葉がいつも浮かびます。


これは、ヨガ哲学「ヤーマ・二ヤーマ」のひとつです。


ヨガというのは、自己探求のお役立ちツールで、


身体を動かす「実践」だけじゃなくて
(=いわゆるヨガのイメージです)
何を目指してこの道を歩くのか、という道しるべとしての
「哲学」
ももれなくついてきます。


アパリグラハというのは、
「執着を手放す」、
とか、
「むさぼらない(不貪)」、
と日本語訳があてられます。

必要以上にものを求めすぎない、というような意味です。


たとえば、暑い日々がつづき
日差しをさえぎる帽子が欲しいというのは必要な欲求ですが
麦わら帽子も欲しいし、
水陸両用のキャップも欲しいし、紫外線を遮るつばひろのものと、、、
といくつ帽子があっても足りないならば
欲しがりすぎということになります。


これだけ見ると「欲を捨てろ」と
言われているようで、
解脱とか出家とか、宗教的なイメージも入り込みますが、


ヨガ哲学の素敵なところは、


他のヤーマ(禁戒)・二ヤーマ(勧戒)も
いっしょに成立させてね


と言っているところです。

ヤーマ:
非暴力(アヒンサ)
不盗(アステア)
真実(サティア)
不貪(アパリグラハ)
節制(ブラフマチャリア)

二ヤーマ:
清浄(サウチャ)
知足(サントーシャ)
苦行(タパス)
スヴァディヤーヤ(自己と経典の学習)
イシュバラ・プラニダーナ(神なるものへの献身)



とこれだけ見れば、何が何やらわからないけれど、
要は
これらのうち、一つだけで成立させようとすると
必ず矛盾やら極端思想やら出てくるから、
ぜんぶいっぺんに考えてね、と言っているのです。


たとえば

その帽子がたくさん欲しいという欲求が
自分にとっての真実(サティア)であるなら
アパリグラハに反するという一面で自責しなくてもいいし
帽子への飽くなき欲求が
(たとえば)帽子デザイナーへの自分の可能性を広げるなら
不盗(自分の可能性を奪わない)
を実現することにもなります。


そして、この「すべてのヤーマ・二ヤーマを同時に考える」
というのを、クリパルヨガの本では
「ヤーマ・二ヤーマの花輪を持ち上げる」
と表現しています。


花輪、です。


ひとつの花を持ち上げると、花輪のすべてが持ち上げることになるんだよ、と。


素敵じゃないですか~!



わたしはこの表現が大好きで、クラスでヤーマ・二ヤーマを
紹介するときも、
なるべく花輪の話をするようにしています。

 

そんなわけで、今日は これでいいのだ!

おしまいです。
また来週!
読んでくださって、ありがとうございました^^



****************
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まあるい私に~苦手なものに歩みよる時

2020.06.13 21:01|ヨガと身体と生活の考察
こんにちは。
ヨガランタンのにしかわまきえです。

土曜日に更新するよと宣言してから、
「今日は土曜日だなと思ってblogをチェックしてるよ~」
と、いろんな人から聞きます。
とても嬉しい。
ありがとうございます!

書くことは、どちらかというとわたしの得意分野なので、
わりと楽しくさらさらと書いています。



でも、今日はわたしの苦手なことを書きたいです。


ああ、これ、苦手だな
楽しんで出来ないな

しかも、出来たら素敵なのになと
憧れているようなこと


実は、いまだに、コロナ騒動によって巻き上がって浮上してきた
潜在意識に、あ~ どうしたらいいのかな
と立ち止まっているわたくし。



これ、うまく言えるのかはわからないのですが


たとえば、


もっとのんびりして、生活を楽しむこと


にわたしは憧れがありますね。
パンを焼いたり、お菓子をつくったり。
保存食をつくったり、
ただ散歩をして「いま」この瞬間を味わったり。


のんびりすること。
スペースを持つこと。
実は、それが苦手分野。
どちらかというと
頭が働き続けて
何もかもぎゅうぎゅうに詰め込もうとしてしまう。
引き出しもそんな感じ(笑)
スペースが必要なのはわかってるけど、
出来ない。


それから、

人に何かを決められること


が苦手。
どんなことでも自分の力で何かを考えて、答えを出したい。
これはわたしが、赤子のときに
「つかまり立ち」を拒否したという逸話がありまして^^;
何度ころんでも、
何もつかまらずに自力で立ちたい幼児だったとのこと。
三つ子の魂、おそるべし。

○○診断とか、○○占いとか
いま世の中には溢れていて、
必要としている人がいっぱいいるのでしょうね。
でも、わたしは苦手。
私がどういう人なのか、
私がどんな星のもとに生まれているのか、
人に決められるのが、ちっとも面白くない。


よく言えば自立しているのでしょうし、悪く言えば委ねられない。


そこにも、そんな自分を「それでよし」とするのではなく、
ぼんやりとした不安みたいなものを感じていました。


そんななか、先日
クリパルジャパン 三浦まき子さんのオンライン『アーユルヴェーダ基礎講座』
というのを受講しはじめました。4回連続。また来週もあります。




アーユルヴェーダというのは、ヨガとたいへん仲良しなインドの生命科学で
米国クリパルセンターには、学部まであるほど。
その意味では興味がなくもなかったのですが、
実は長いこと少し距離をおきたい気持ちでした。

なぜなら、

たいてい
ヴァータ(風)
ピッタ(火)
カパ(水)

という三つのドーシャ(体質)に自分をタイプ別にしましょう
というところから始まるから。
セルフケアにはアヴィヤンガをやりましょうとか
教え込まれる感じもいやだった。

クリパルヨガは、わりとなんでも教え込むというよりは
体験させてくれて、自由な発想や感覚を尊重してくれる
ヨガなんですよ。だから、好き。

でもアーユルヴェーダはどうなのかしら。ドキドキ。
ただ実感のともなわない情報を植え付けられるのは、本当に苦手^^;
自分の内側から生まれるもの
じゃないと、楽しめない。


一方で、わたしの中で、苦手なんだということに対して
不安のようなものがつきまとっていたことも確かで


なんだか今回は直観のようなものが働いて、
三浦まきこさんへの絶大な信頼感も手伝って
えいっとオンライン講座への受講を決めました。


受講しての感想。
ああ、よかった、、、、、


そこでは、まず、ヨガをして、

自分の身体の内側にある、
空の要素。。。体内の空間、細胞や血中のスペース
風の要素。。。呼吸、思考、からだの動き
火の要素。。。消化、熱、エネルギー
水の要素。。。血液、体液、汗、湿り気
土の要素。。。個体性、骨

などを感じるところからはじまって、じゅうぶんに「体験」をしました。


わたしの中にある五大元素。
教え込まれるのではなく、湧いて出てくるもの。
ずっと苦手だった「生理学」
(だって、ホルモンが出た瞬間とか体験的にわからないから)を
アーユルヴェーダの体験を入口として
深めていけるのでは。。。という気づき。


そして面白かったのは、その体験のさいごにわたしが感じていたこと。


それは、風、火、水、土
ああ、もうひとつはなんだっけ、どうして思い出せないんだろう、、、
と、ぼんやりと思っていたということ。

空=スペースがない

思い出せない



うーむむむ


出ている、、、わたしが出てしまっている(笑)



そんなこんなで、情報もタイプ分けもあるこの講座だけれど
十分に楽しんでいるわたし。
そんな状態の自分にいま、ほっとしている自分がいます。


日々、五大元素のフィルターを通して
世界を感じはじめている自分に、新しい可能性を感じています。



****


今朝は今朝で、友達講師のやっている陰ヨガ講座に参加しました。またオンラインで。

陰ヨガというのは、あっちこっち動かず、「委ねる」ヨガ。
つまりわたしの苦手分野です。

最初に、友人講師による講義がありました。


「梅雨に入り、空気のなかに水がたくさん含まれるようになりました。
胃腸が弱りやすい時期です」


夏のはじめ、この梅雨時期に胃腸が不調になるわたし。
理論上はこうだ、低気圧がどうだ、
と語ることはできるけれど、実際そういうお話を聞くのは
右から左へ流れてしまうのが通常。

早く「実践」が始まらないかなぐらいに思うタイプです。

でも、今日はすごく真剣にメモをとってしまった。


「水」の質。

そうか、空気にはたくさんの水の粒が。わたしは呼吸によっても、
その水を取り入れているのか。

それがまざまざと、ありありと、
自分の身体の生理を
実感をともなって、感じることができた。


********


きっと、ひとりひとり、苦手なもの、得意なもの、あるのだろうと思います。

よく、得意なものを伸ばせばいい、と言います。

それは、もちろん。

でもわたしは、
好きなもの、得意なものは、それを極めることによって、いずれ
自分の苦手や不得手にすらも、歩み寄るための
ギフトだと思っています。

好きを極めていけば、必ず苦手分野にも直面する。
でも「大好き」の助けを借りれば、
そこを楽しむことも、きっとできる。


わたしにとって「大好き」は、自分で感じて、自分で決めること
自由に自分を表現すること。


でも、その対局にある「ルール」「束縛」「情報」にも、
「好き」を通してアクセスできるということ。


コロナをきっかけに感じ始めていた「不安」は、
わたしをそこに気づかせ、自分という人間性をより偏りなく
まあるくするための何かだったのではないかと
思っています。


世界中でいま、差別に対する大きな抗議行動が起こっていると報道されています。
「好き」「嫌い」で分断される時代から、
融合の時代への転換点にきている。
それは、私たちひとりひとりの内側にある
「苦手」への気づきにもつながるような気がしています。



皆さんにとっての「苦手」はなんでしょうか。
そして、それを「好き」にするための道は、いま一生懸命やっていること、
大好きなことの、その延長線上にあるでしょうか。


読んでくださってありがとうございました^^


****************
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