クリパル・ステージ1を受けて(3)
2013.08.27 11:43|ヨガと身体と生活の考察|
ヨガの経典、ヨガスートラの話も聞きました。
アーサナの定義。
アーサナ(座法)は、快適で安定したものでなくてはならない。
アーサナは緊張を緩め、無限なものに心を合一されることで得られる。
以後、その者は二元性によって乱されることがない。
さっと読んだだけでは心にストンと落ちてこない、
この文章の解釈をトシさんなりにしてみせてくれました。
まず2行目、「無限なもの」とはなんだろう。
ひとつには、エネルギー。
目には見えないけれども身体の内にはエネルギーがあって、
その「現象」として感覚や呼吸が起きている。
それはまるで、風が吹いて枝葉が揺れるように。
現象は有限だけど、そのエネルギー自体は、無限。
もうひとつ。それは、永遠なる今。
「今」はこの瞬間この瞬間過ぎて、過去になり、
また未来がやってきては「今」になり、
終わることがない。無限。
「無限なものに心を合一させる」とは、
エネルギーを感じ、「今この瞬間」に心を置くことに似ているのではないか。
…というものでした。
今、この瞬間に心を置くこと。
それは私がヨガに引きつけられた最大の理由です。
私がそれが本当にへただから、今が空っぽになってしまい、満たされない。
ヨガに求めたのは、今この瞬間を満たすこと。
私の心、体、魂のすべてでこの瞬間を生きること、でした。
それが、アーサナ。
そして、それが出来たならば、「その者は二元性によって乱されることがない」。
二元性とは、上下、左右。善と悪、対となるもの。
私たちは常に右が良いか、左が良いか、どちらか片方を選んでいて
良い方がとれないと辛かったりする。
でも、両方が全体の一部であり、両方が必要であるとわかれば、
乱されることがない、ということ。
ふーむ…
あさってからステージ2が始まるため慌てて
まとめようとしているけれども、
これは本当に私のいまの状態に落ちてくる言葉です。
「あるがままを受け入れる」
というのは、クリパルヨガをしていると頻繁に耳にする言葉で
自己を否定せず、ジャッジせず、その状態をただ観察するという意味で
よく使われます。
ふと思いました。
「あるがままを受け入れる」というのは、つまり
ヨガスートラでいうところの
二元性に乱されないということではないかと。
良い、悪い、を判断しないで
このままの状態をただ事実として観察することは
心を落ち着けてくれる。
右に左に揺さぶられるのではなく、自分の真ん中、中心にいて、
その場所に、ただただ収斂していく。回帰していく。
アーサナによって得られるものはそういうものだ、と、
そういう意味なのだろうか。
中途半端になってしまったけど、本当にこの学びは
私にとって宝です。
あさってから始まるステージ2がまた楽しみです。
アーサナの定義。
アーサナ(座法)は、快適で安定したものでなくてはならない。
アーサナは緊張を緩め、無限なものに心を合一されることで得られる。
以後、その者は二元性によって乱されることがない。
さっと読んだだけでは心にストンと落ちてこない、
この文章の解釈をトシさんなりにしてみせてくれました。
まず2行目、「無限なもの」とはなんだろう。
ひとつには、エネルギー。
目には見えないけれども身体の内にはエネルギーがあって、
その「現象」として感覚や呼吸が起きている。
それはまるで、風が吹いて枝葉が揺れるように。
現象は有限だけど、そのエネルギー自体は、無限。
もうひとつ。それは、永遠なる今。
「今」はこの瞬間この瞬間過ぎて、過去になり、
また未来がやってきては「今」になり、
終わることがない。無限。
「無限なものに心を合一させる」とは、
エネルギーを感じ、「今この瞬間」に心を置くことに似ているのではないか。
…というものでした。
今、この瞬間に心を置くこと。
それは私がヨガに引きつけられた最大の理由です。
私がそれが本当にへただから、今が空っぽになってしまい、満たされない。
ヨガに求めたのは、今この瞬間を満たすこと。
私の心、体、魂のすべてでこの瞬間を生きること、でした。
それが、アーサナ。
そして、それが出来たならば、「その者は二元性によって乱されることがない」。
二元性とは、上下、左右。善と悪、対となるもの。
私たちは常に右が良いか、左が良いか、どちらか片方を選んでいて
良い方がとれないと辛かったりする。
でも、両方が全体の一部であり、両方が必要であるとわかれば、
乱されることがない、ということ。
ふーむ…
あさってからステージ2が始まるため慌てて
まとめようとしているけれども、
これは本当に私のいまの状態に落ちてくる言葉です。
「あるがままを受け入れる」
というのは、クリパルヨガをしていると頻繁に耳にする言葉で
自己を否定せず、ジャッジせず、その状態をただ観察するという意味で
よく使われます。
ふと思いました。
「あるがままを受け入れる」というのは、つまり
ヨガスートラでいうところの
二元性に乱されないということではないかと。
良い、悪い、を判断しないで
このままの状態をただ事実として観察することは
心を落ち着けてくれる。
右に左に揺さぶられるのではなく、自分の真ん中、中心にいて、
その場所に、ただただ収斂していく。回帰していく。
アーサナによって得られるものはそういうものだ、と、
そういう意味なのだろうか。
中途半端になってしまったけど、本当にこの学びは
私にとって宝です。
あさってから始まるステージ2がまた楽しみです。