くだらない事との和解
2018.03.07 20:59|ヨガと身体と生活の考察|
もう、春ですね。
御代田(軽井沢町のとなり)も日差しが暑いほどの日もあり、
凍った地面が、ふんわりとした土に還っていくのを
足の裏で感じます。
そして、なぜか私のなかでも、雪解けが進んでいます。
人生の雪解けです。
***********************
さいきん、子どもたちに
「かあたん、おとうたんみたい~」と、
非難とも嘲笑ともつかない口調で言われることがある。
たとえば、こんなとき。
車を運転してるとき、後部座席からなんども話しかけられて振り向き
そのたびにハンドルがぶれる。
「ちょっとー!くだらないことで話しかけるな。事故っちゃうでしょー!」
と怒りながらも、ニヤリ。
「えーいいい!!」
と、もっとぶれぶれにして、クネクネ運転。
※もちろん、人っこひとりいない山道でです
ちょっと、ふざけてみたのである。
しかし、かつてそんなことはあんまりしなかったわたしなので、
8歳の息子は、混乱の苦笑い。
…「おとうたんみたい」
それは子どもたちにとっては、「遊んでいる」「ふざけている」
「くだらないことを言う」
ということとだいたい同義らしい。
見かけは生真面目で、遊びがないように見える「おとうたん」つまり
私の夫だが、それはコミュニケーションが苦手なだけで、
たいへんオリジナリティのあるユーモアのセンスをもっている。
だいぶストライクゾーンの狭いユーモアなので
ここには公開しませんが。
ひるがえって、このわたしは、ぜんぜん遊びがないタイプだった。
ふざけるというセンスがまるでゼロ。
テレビを見るのも嫌いだったし、
スキーとか、旅行とか、カラオケとか、娯楽に対する根深い反感があったし、
若い頃は、友達と飲みにいくよりも
一人こもって本を読んだり映画を見たりしてた方が有意義だと思っていた。
そんな遊びや余裕のないわたしなので、
子どもたちも、お父さんと遊ぶ方が、お母さんと遊ぶより、だんぜん好き。
泣いた時だけ、わたしの出番がやってくる。
**********
20代の後半で、人生が煮詰まって煮詰まって、ついに精神科にかかったことがあった。
ヨガに出会う直前。
鬱というほどじゃないけど、精神的にしんどくて、
藁にもすがる思いで大学病院の門をたたくと、
そこには研修中の大学院生にかこまれた無表情の医師がいて、
「適応障害ですね」
と言った。
「なんですか?適応障害って」
「簡単に言えば、気分転換ができない心の病気です。薬を出しますか?」
病的に、気分転換が下手。
そのときは医者の馬鹿野郎と思ったけど、今思えば、なんということでしょう、
ズバリその通り、それ以上でもそれ以下でもない最適な診断だと思う。
***********************
くだらないことを、馬鹿にしていたわけではないと思う。
どちらかというと憧れていたくらい。
面白いことを言える人間になりたかった。
リラックスして、笑顔でいたかった。
でも、出来なかったというのが本当のところ。
リラックスできない人間が、無理矢理ふざけたことを言おうとする、
やろうとすると(けっこう勇気はある方なのでやってみたことはある)、
決まって、こっぴどく怒られる。
地雷を踏む。
誤解される。
だから、自分の生きられる道はたったいっぽん、
やるべきことは全力でやりきり、
(高校時代の肉屋のバイトでは、声をはりあげて真面目に呼び込みをしたっけ)
AはAだし、BはBだと、
キマジメ一直線で生きるだけだと思い込んでいた。
***********************
ある日、子どものDVDを借りに、ものすごく久しぶりにTSUTAYAに行ってみた。
すると、「お笑い」のコーナーで足が止まる。
「…そうだ、息子がバラエティが好きだから、いいかな」
と、漫才のDVDを一本借りてみた。
子どもを産んでから8年間、ほとんどテレビをまともに見たことがなかった。
世の中で流行っていることも、
売れている芸人の名前も、
視聴率の良いドラマのことも、何も知らない、空白の8年間。
なんだかいきなり場違いな世界に飛び込んでしまったみたいで
どぎまぎしながらも、DVDを一緒に見ていると…
おもしろい。
やつぎばやに繰り出される言葉遊びの応酬に、す、すごい!!!
「ねえねえ、これ面白いよ」
と夫にうったえる。
あんなこと言ってた、こんなこと言ってた、といってプププと笑う。
「すごいね~おもしろいんだね~漫才って」
と言うと、
夫は「今さらそんなこと言ってるのは、うちだけだと思うけどね」
とつぶやいた。
なんというか… お笑い芸人って…
心のインナーマッスル(※)だ
との、言葉が浮かぶ。
コアが強くないとできない。
※ インナーマッスルとは、身体の表層ではなく深層にある筋肉の総称で、円滑な動作には欠かせない重要な筋肉。いわゆるベンチプレスとか腹筋運動などのような筋力トレーニングではなかなか鍛えられず、意図的に鍛えるには心の力、イメージと集中力が必要になる。
聞いてる方はただ大笑いさせてもらえるけど、
やってる人たちのことを勝手に想像すると、
ネタをひねり出すのは、がむしゃらにがんばってもできないだろう頭の柔軟性が必要だし
人前に立つときも、くだらないネタを機関銃のごとく連発するそのあいだじゅう、
内側の「まじめさ」を一瞬たりとも悟られないようにしなくてはならない。
…最近、一生懸命、がんばらない努力をしている
わたしに、なんだかものすごく響いてしまった。
心のアウターマッスルががちっとしてて、「これが正しいです!」「これが美しいのです!」
と言ってきたのが、今までのじぶん。
もちろん、そういうマジメさも大事だと思う。
というか、そういうマジメさが土台として根っこにないと、
がんばらないことをがんばることもがんばれない(伝わりますか)。
でも、そういうアウターのまじめさは、
どこかあやうく(特に今の時代)、
マッチョな感じがする。
……そうかああああ
お笑い芸人。
この人たち、関西弁で叫んだり、騒がしかったり、そもそも人を笑わせられるという意味で
もっとも自分と遠い人たちだと思っていたけど、実は隣りにいましたか?
本当は、同じ人種。
努力の人。不器用で、しかも、きっと、適応障害に違いない。
***********************
我が家にある「アンパンマン」のDVDを子どもたちが見ていると、
夫がかなりの頻度でつぶやく一言がある。
「チーズの声をやってるのは、山寺宏一っていう有名な人なんだよ」
3歳の娘には言葉の意味すら伝わらないだろうし、
8歳の息子も興味なし。
今までは妻からも氷のような冷ややかな視線を送られてきた夫だが、
春である。雪解けの季節。
にこやかにこの情報を虚空に放つこの人も、
きっと努力の人なのだと、
次につぶやいたときには、春の日差しのような柔らかい視線を送ってみたいと思う。
***********************
最後まで読んでくださって、ありがとうございました^^
自分が何をやっているのか少しずつ自覚的になってきました。
よかったら皆さんの中の雪解けもおしえてください
御代田(軽井沢町のとなり)も日差しが暑いほどの日もあり、
凍った地面が、ふんわりとした土に還っていくのを
足の裏で感じます。
そして、なぜか私のなかでも、雪解けが進んでいます。
人生の雪解けです。
***********************
さいきん、子どもたちに
「かあたん、おとうたんみたい~」と、
非難とも嘲笑ともつかない口調で言われることがある。
たとえば、こんなとき。
車を運転してるとき、後部座席からなんども話しかけられて振り向き
そのたびにハンドルがぶれる。
「ちょっとー!くだらないことで話しかけるな。事故っちゃうでしょー!」
と怒りながらも、ニヤリ。
「えーいいい!!」
と、もっとぶれぶれにして、クネクネ運転。
※もちろん、人っこひとりいない山道でです
ちょっと、ふざけてみたのである。
しかし、かつてそんなことはあんまりしなかったわたしなので、
8歳の息子は、混乱の苦笑い。
…「おとうたんみたい」
それは子どもたちにとっては、「遊んでいる」「ふざけている」
「くだらないことを言う」
ということとだいたい同義らしい。
見かけは生真面目で、遊びがないように見える「おとうたん」つまり
私の夫だが、それはコミュニケーションが苦手なだけで、
たいへんオリジナリティのあるユーモアのセンスをもっている。
だいぶストライクゾーンの狭いユーモアなので
ここには公開しませんが。
ひるがえって、このわたしは、ぜんぜん遊びがないタイプだった。
ふざけるというセンスがまるでゼロ。
テレビを見るのも嫌いだったし、
スキーとか、旅行とか、カラオケとか、娯楽に対する根深い反感があったし、
若い頃は、友達と飲みにいくよりも
一人こもって本を読んだり映画を見たりしてた方が有意義だと思っていた。
そんな遊びや余裕のないわたしなので、
子どもたちも、お父さんと遊ぶ方が、お母さんと遊ぶより、だんぜん好き。
泣いた時だけ、わたしの出番がやってくる。
**********
20代の後半で、人生が煮詰まって煮詰まって、ついに精神科にかかったことがあった。
ヨガに出会う直前。
鬱というほどじゃないけど、精神的にしんどくて、
藁にもすがる思いで大学病院の門をたたくと、
そこには研修中の大学院生にかこまれた無表情の医師がいて、
「適応障害ですね」
と言った。
「なんですか?適応障害って」
「簡単に言えば、気分転換ができない心の病気です。薬を出しますか?」
病的に、気分転換が下手。
そのときは医者の馬鹿野郎と思ったけど、今思えば、なんということでしょう、
ズバリその通り、それ以上でもそれ以下でもない最適な診断だと思う。
***********************
くだらないことを、馬鹿にしていたわけではないと思う。
どちらかというと憧れていたくらい。
面白いことを言える人間になりたかった。
リラックスして、笑顔でいたかった。
でも、出来なかったというのが本当のところ。
リラックスできない人間が、無理矢理ふざけたことを言おうとする、
やろうとすると(けっこう勇気はある方なのでやってみたことはある)、
決まって、こっぴどく怒られる。
地雷を踏む。
誤解される。
だから、自分の生きられる道はたったいっぽん、
やるべきことは全力でやりきり、
(高校時代の肉屋のバイトでは、声をはりあげて真面目に呼び込みをしたっけ)
AはAだし、BはBだと、
キマジメ一直線で生きるだけだと思い込んでいた。
***********************
ある日、子どものDVDを借りに、ものすごく久しぶりにTSUTAYAに行ってみた。
すると、「お笑い」のコーナーで足が止まる。
「…そうだ、息子がバラエティが好きだから、いいかな」
と、漫才のDVDを一本借りてみた。
子どもを産んでから8年間、ほとんどテレビをまともに見たことがなかった。
世の中で流行っていることも、
売れている芸人の名前も、
視聴率の良いドラマのことも、何も知らない、空白の8年間。
なんだかいきなり場違いな世界に飛び込んでしまったみたいで
どぎまぎしながらも、DVDを一緒に見ていると…
おもしろい。
やつぎばやに繰り出される言葉遊びの応酬に、す、すごい!!!
「ねえねえ、これ面白いよ」
と夫にうったえる。
あんなこと言ってた、こんなこと言ってた、といってプププと笑う。
「すごいね~おもしろいんだね~漫才って」
と言うと、
夫は「今さらそんなこと言ってるのは、うちだけだと思うけどね」
とつぶやいた。
なんというか… お笑い芸人って…
心のインナーマッスル(※)だ
との、言葉が浮かぶ。
コアが強くないとできない。
※ インナーマッスルとは、身体の表層ではなく深層にある筋肉の総称で、円滑な動作には欠かせない重要な筋肉。いわゆるベンチプレスとか腹筋運動などのような筋力トレーニングではなかなか鍛えられず、意図的に鍛えるには心の力、イメージと集中力が必要になる。
聞いてる方はただ大笑いさせてもらえるけど、
やってる人たちのことを勝手に想像すると、
ネタをひねり出すのは、がむしゃらにがんばってもできないだろう頭の柔軟性が必要だし
人前に立つときも、くだらないネタを機関銃のごとく連発するそのあいだじゅう、
内側の「まじめさ」を一瞬たりとも悟られないようにしなくてはならない。
…最近、一生懸命、がんばらない努力をしている
わたしに、なんだかものすごく響いてしまった。
心のアウターマッスルががちっとしてて、「これが正しいです!」「これが美しいのです!」
と言ってきたのが、今までのじぶん。
もちろん、そういうマジメさも大事だと思う。
というか、そういうマジメさが土台として根っこにないと、
がんばらないことをがんばることもがんばれない(伝わりますか)。
でも、そういうアウターのまじめさは、
どこかあやうく(特に今の時代)、
マッチョな感じがする。
……そうかああああ
お笑い芸人。
この人たち、関西弁で叫んだり、騒がしかったり、そもそも人を笑わせられるという意味で
もっとも自分と遠い人たちだと思っていたけど、実は隣りにいましたか?
本当は、同じ人種。
努力の人。不器用で、しかも、きっと、適応障害に違いない。
***********************
我が家にある「アンパンマン」のDVDを子どもたちが見ていると、
夫がかなりの頻度でつぶやく一言がある。
「チーズの声をやってるのは、山寺宏一っていう有名な人なんだよ」
3歳の娘には言葉の意味すら伝わらないだろうし、
8歳の息子も興味なし。
今までは妻からも氷のような冷ややかな視線を送られてきた夫だが、
春である。雪解けの季節。
にこやかにこの情報を虚空に放つこの人も、
きっと努力の人なのだと、
次につぶやいたときには、春の日差しのような柔らかい視線を送ってみたいと思う。
***********************
最後まで読んでくださって、ありがとうございました^^
自分が何をやっているのか少しずつ自覚的になってきました。
よかったら皆さんの中の雪解けもおしえてください