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makie.nishikawa

Author:makie.nishikawa
2014年 BlissBaby マタニティ・産後ヨガ教師資格取得(24 時間)
2017年米国クリパルセンター公認ヨガ教師資格取得(200時間)
山の上のヨガルーム、Yoga Lantern(長野県御代田町)主宰。
2児の母。

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身体のよぶんな力みと、判断する心/クリパルヨガのOn the mat, off the mat①

こんにちは。
Yoga Lantern にしかわまきえです。

私が実践しているクリパルヨガは
ヨガのためのヨガ(ポーズを美しくとるとか)ではなく、
ヨガの知識や実践を生活に生かすことを大切にしている
ヨガです。

On the mat, off the mat

ヨガマットの上で起こっていることは、
基本的にマットの外=日常生活
でも起こっているという教えがあるのですが、

わたしの場合、日々、日々、生きているとしょっちゅう、
ああ、これもあれもヨガマットの上のあれだ、と
体験が日常生活とリンクしていることに気づきます。


たとえば。

立ちポーズで、しっかり足を踏みしめて両手を上げるとき。
肩や腕に、力が入ることがあります。
足(脚)の筋力はしっかり使ってないと立てないのですが
肩の力は使わなくても良いのに、入ってしまう。

「あ、チカラが入っているな」と気づいて、
抜いてみると、意識の力だけで意外と抜けることがあります。




こういう状態は、日常生活のなかですごくコレに似てる、
といつも思うのです。
たとえば…


声の大きい人=自分を表現でき、世の中で優位に立つ人。

とか、

ギャルっぽい人 =知的ではなく、異性へのアピールが強い人


とか、判断している時。


または、

キャラクターのもの =おしゃれじゃない、安っぽい、恥ずかしい、商売的

とか、

オーガニックなもの =素敵、健康に良い、環境に良い、平和的


とか判断しているとき。

で、好きとか嫌いとか、自分と同じタイプとか違うタイプとか、
判断して一線を引く。

その時の感じが、とても「よぶんな力み」と似ているな、と感じるのです。


人間の心(マインド)は過去の経験を参照しながら
生命が安全でいられるように常に監視しているわけだから、
そういう判断があるのは人間として正常なわけですが、

でも、あんまり行き過ぎると、それは「いらない力が入っている状態」となるんだな、
と常日頃感じています。



なので、日常の中で変に判断してるな、と気づいたとき、
その力をなるべく手放すように心がけています。

もちろん、なんでもかんでも、手放すわけにはいきません。
日常生活が、まわっていきません。
判断しないといけない時もある。


その「判断しなければならない時」が、
立ちポーズでどっしりしてなければならない、脚(土台)の力に相当しているのだと思います。

マットの上で毎日ポーズを実践していると、気づきが起こります。
その気づきが、深くなればなるほど、
ふだんの自分の生き方があぶりだされていきます。

最近は、生活のなかで「これはよぶんな力だな、偏見だな」と
瞬時に気づきが生じることがことが多くなり、
すごく生きやすいです。


「判断しない」
というスタンスで人の話を聞いていると、
話の内容というのは、その人の周辺情報であることが多く
本当に語られていることというのは別のことである
場合が多いんだなということに気が付きます。

怒りの後ろにある悲しみ
笑顔の後ろにある絶望
涙の向こう側にある希望

揺れ動く状況を、よいことも悪いことも、判断しないで見ている
練習を、日常のなかで行っています。

脚力があり、ハラに力が集まると、少々揺れることがあっても、軸に戻ってこられます。
マットの上の練習と、
マットの外の練習は
両輪だなと思っています。


読んでくださって、ありがとうございました^^