何を感じているのですか?
2018.06.28 10:31|ヨガと身体と生活の考察|
こんにちは。
ヨガランタンのにしかわまきえです。
曇ったり晴れたり、暑かったり寒かったり。
身体がついていかないですね。
長野県の話ですが。
…長野県といっても、広いので。
御代田町の話ですが。
御代田町、、、といっても標高によっては局所的にぜんぜん天気が違うこのあたり。
「うちのまわりの話ですが」、と言った方がいいでしょうか。
*********
・・・・ところで突然ですが、わたしは上記のような、「世間話」が苦手でした。
今は得意ではないものの、ちゃんとできるようになりました。
必要だということがわかったし、大人になったんです。
小さい頃から、
周辺情報は興味がなく、
本質が知りたかった人でした。
ニュースとか、新聞とか、苦手でした。
本質と関係がないことばかり。
左の耳から右の耳へ、通過してしまう。
「わたしが、あなたが、何を感じているのか」
それをあまり話したがらない「世間」というものが苦手で、
本や映画の中に、自分の居場所を見つけていました。
哲学が好きでした。
まさに本質だけ、の話をするので
難しくても一生懸命読みました。
********
ヨガのクラスの中で、「どうですか?」って声をかけることがあります。
「やってみてどうですか?痛い?気持ちいい?」
聞かれてはじめて、
身体の声に耳を傾け始める人も多いです。
「寝っ転がってみると、脚はどっちが長い感じがする?」
「骨盤を動かすと、どっちの腰の感覚が大きいとかありますか?」
あれこれ聞くと、
「あ、わたしは○○症だと言われたことがあります」
「左右差はあるはずです、そう言われたから」
との答えが返ってくることもあります。
「いえ、〇〇さんは、どう感じているんですか?主観で教えてください」
と聞くと、はじめて、一生懸命、
「わたしが何を感じているか」を探ってくれます。
「わからない」
という答えがかえってくることもあります。
わからないって、わたしもよく感じます。
身体の感覚を感じるのって、難しい。
でも、わからないって、深く感じるって、わたしは好きです。
わからないの奥にいっぱい可能性を感じます。
*********
「何を感じているのですか?」
たくさんたくさん困ってること、辛いこと、しんどいこと、受け止めきれないことがあると
人は周辺情報に逃げていくように感じます。
家庭内の問題、親戚の問題、
お金の問題、子どもの問題、生まれ育った環境の問題。
事情を話し始めればキリがないけれど、そこで大抵置き去りにされているのが
「わたしは、何を感じているか?」
ということ。
それに触れるのは時に、すごく怖いことだと思う。
本質に触れてしまう。
でも自分自身、何度もそこを通過してきて思うのは、
「わたしが何を感じているのか」
に本当に触れることが出来れば、
すでに解放は始まっているということ。
それは私の場合、ほんとうに自分を束縛から解放する、甘美な感覚です。
********
小さい頃、最大のなぞは、父母がいつも喧嘩ばかりしているのに
なぜ一緒にいるかということでした。
「お母さん、何を感じているの?」
母の心の痛みは、
父の問題や、祖母の問題や、子どもを育てるための経済的問題の
奥の奥の奥のほうに隠されてしまった。
それを暴き立てるわたしは、厄介な子どもだったと思います。
でも大丈夫。
もう大人になったから、たくさんの周辺情報を聞いてあげることもできるよ、
お母さん。
**********
日本の天気ではなく、長野県でもなく、御代田町でもなく、
あなたのうちの天気は?
あなたは今、何を感じているのですか?
ヨガランタンのにしかわまきえです。
曇ったり晴れたり、暑かったり寒かったり。
身体がついていかないですね。
長野県の話ですが。
…長野県といっても、広いので。
御代田町の話ですが。
御代田町、、、といっても標高によっては局所的にぜんぜん天気が違うこのあたり。
「うちのまわりの話ですが」、と言った方がいいでしょうか。
*********
・・・・ところで突然ですが、わたしは上記のような、「世間話」が苦手でした。
今は得意ではないものの、ちゃんとできるようになりました。
必要だということがわかったし、大人になったんです。
小さい頃から、
周辺情報は興味がなく、
本質が知りたかった人でした。
ニュースとか、新聞とか、苦手でした。
本質と関係がないことばかり。
左の耳から右の耳へ、通過してしまう。
「わたしが、あなたが、何を感じているのか」
それをあまり話したがらない「世間」というものが苦手で、
本や映画の中に、自分の居場所を見つけていました。
哲学が好きでした。
まさに本質だけ、の話をするので
難しくても一生懸命読みました。
********
ヨガのクラスの中で、「どうですか?」って声をかけることがあります。
「やってみてどうですか?痛い?気持ちいい?」
聞かれてはじめて、
身体の声に耳を傾け始める人も多いです。
「寝っ転がってみると、脚はどっちが長い感じがする?」
「骨盤を動かすと、どっちの腰の感覚が大きいとかありますか?」
あれこれ聞くと、
「あ、わたしは○○症だと言われたことがあります」
「左右差はあるはずです、そう言われたから」
との答えが返ってくることもあります。
「いえ、〇〇さんは、どう感じているんですか?主観で教えてください」
と聞くと、はじめて、一生懸命、
「わたしが何を感じているか」を探ってくれます。
「わからない」
という答えがかえってくることもあります。
わからないって、わたしもよく感じます。
身体の感覚を感じるのって、難しい。
でも、わからないって、深く感じるって、わたしは好きです。
わからないの奥にいっぱい可能性を感じます。
*********
「何を感じているのですか?」
たくさんたくさん困ってること、辛いこと、しんどいこと、受け止めきれないことがあると
人は周辺情報に逃げていくように感じます。
家庭内の問題、親戚の問題、
お金の問題、子どもの問題、生まれ育った環境の問題。
事情を話し始めればキリがないけれど、そこで大抵置き去りにされているのが
「わたしは、何を感じているか?」
ということ。
それに触れるのは時に、すごく怖いことだと思う。
本質に触れてしまう。
でも自分自身、何度もそこを通過してきて思うのは、
「わたしが何を感じているのか」
に本当に触れることが出来れば、
すでに解放は始まっているということ。
それは私の場合、ほんとうに自分を束縛から解放する、甘美な感覚です。
********
小さい頃、最大のなぞは、父母がいつも喧嘩ばかりしているのに
なぜ一緒にいるかということでした。
「お母さん、何を感じているの?」
母の心の痛みは、
父の問題や、祖母の問題や、子どもを育てるための経済的問題の
奥の奥の奥のほうに隠されてしまった。
それを暴き立てるわたしは、厄介な子どもだったと思います。
でも大丈夫。
もう大人になったから、たくさんの周辺情報を聞いてあげることもできるよ、
お母さん。
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日本の天気ではなく、長野県でもなく、御代田町でもなく、
あなたのうちの天気は?
あなたは今、何を感じているのですか?