柔らかくしなる、「自分軸」の作り方③
2018.08.31 16:24|ヨガと身体と生活の考察|
こんにちは、ヨガランタンのにしかわまきえです。
怒涛の夏休み。。。
をなんとか乗り切ろうとするうちに、
前回の「柔らかくしなる、「自分軸」の作り方②」から1か月も
経ってしまいました。申し訳ないです。
今回は、「自分軸と、時間」について語るという予告をしたのでした。
自分軸を作ることと、時間、です。
軸と、時間がどう関係があるのでしょうか?
***
この前、「委ねるを学ぶ」というテーマでヨガクラスを担当したのですが、そこで話したこと。
私たちはいつも全体の一部なのですが、それを忘れてしまうことがある。
家族や友達、人間社会の中の一部であること、
風や光、植物や動物など自然の中の一部であること、
それからもうひとつ
生まれてから死ぬまで、一直線に進む時間の一部を「今」生きているということ、
もっと言えば
おじいちゃんやおばあちゃんよりもっと前の世代から連綿と続く命の道の一部を生きていること、
子どもや孫やもっと先の世代の命の道の一部を生きていること。
時間軸の中でも、私たちは「全体の一部」です。
人生は自分の力で切り開いていくものですが、
その自分自身が全体の一部であるということを忘れてしまうと
人生がうまくまわらなくなっていくことがあります。
たとえば、役割をすべて背負いすぎて他人に委ねられないと、
結局自分が大変になってしまう。
(主婦なら、洗濯干しや収納問題を家族に任せられん!ということよくありますね)
自分は全体の一部なのだから、と手放せることは手放して、流れに身を任せると
人生がうまくまわりはじめることはよくあります。
たとえば、「木のポーズ」。
なかなか立てないと言う方は多いです。
「今」立てないと思うと、焦って呼吸も浅くなるけれど、
長い時間軸のなかの一部「今」は、立てなかった。
明日は立てるかも。明日がだめでも、1か月後には。
と思うことが出来れば、
きっと少なくとも「今」落ち着いて呼吸は出来ると思います。
時間軸の中でも、その一部を「今」生きているという実感が持てると
人生は流れはじめるように感じています。
(この後すぐ、「楽観的になれってことですか?」という質問が出て… 笑
抽象的な話をわかりやすく説明するのって難しい。私の課題です)
わたしの例を話せばわかりやすいでしょうか??
子どもが朝、なかなか起きなくて時間がなくて焦っているとき
イライラしがちですが、そんな時に
子どもの身体を触ってその感覚を味わっていると、
「この前まで赤ちゃんだったのになあ・・・」とじわじわ湧いてくる気持ちに気づきます。
時間軸を少しずらしてみたのです。
そうすることで、遅刻は遅刻で変わらないのですが(笑)
怒涛の朝時間が優しいものに変わったことが何度もあります。
今、この瞬間は、遅刻しそうで大変だけど、
一瞬、「わたしは過去から未来に続く今にいる」、という事実に気づけば
いろんな厳しい事実が和らぐことがあります。
******
前回、「わたしは折れない自信がある」と書いたところで
実はぞくっとしたのです。
きっと、人生には折れてしまったほうがいっそ楽、ということが
いくつもあるでしょう。
それでもギリギリのところで折れないで堪えるのは、本当に大変なことだと思います。
もしそういう状況の方が読んでおられたら、
是非、折れない心を育てられない自分を責めるのではなく、
胎児のようにまあるくなって
自分の心臓を守りながら、眠ってください。
わたしにもそういう時代がありました。
あの時の暗い暗い、生きてるのか死んでるのかわからない
繭の中にいる蛹のような安心感は忘れがたい記憶です。
それでも1年したら動きたいと思うようになって、
浅い呼吸のまま、一生懸命、外を走りました。
そのあと、ヨガに出会いました。
**********
ヨガのポーズで、苦手なもの、力が必要なもの、
バランスをとらなければならないもの の
前にくると
「ふ~…、よし!!」という気持ちで挑むことがあります。
気合が必要なのです。
出来ないのではないかという不安もよぎります。コワイ、とか。
でも、いざそのポーズに入って、力強く呼吸をしていると、意外といける。
「集中力」にはまだ余裕があって、
もう少し呼吸の最後をしっかり吐ききれたり、
プレスポイント(クリパルヨガの手法です)を意識することで
時間は確実に、
1秒、2秒、と過ぎていきます。
この前、クラスでも力強いポーズをやると宣言した後に、
「緊張しますね」
と言ったら、何人か、うんうん、とうなずいてました。
「大丈夫です、呼吸があれば怖くないですよ」
と励ましている自分がいました。
私の体験から出てきた言葉です。
そうやって呼吸や集中する身体の感覚を通して、
「怖れ」と向き合い、
取るに足らない相手だということを
何度も何度も経験的に学んできたのです。
自分が乗り切れたという体験、それから
時間とともに「怖れ」が消えていくという体験が、
わたしの自分軸をつくっているという気がします。
奇しくもこれを書いている今現在、
メンタル的にはだいぶ低空飛行気味なのですが
この経過がどうなるかな~と
わくわくしながら見ている自分もいるのです。
まさに、しなっております。しかし、ぜんぜん折れてはいない。
今ダメだから全部ダメではなくて、
時間を味方につけて、欠点や苦い経験を、未来への可能性に変えていく。
もちろん人生はまだまだ手ごわいけど、
少しずつ生きる知恵をつけてきたのだなと思います。
**********
ええと、少しは伝わるように書けているでしょうか。。。
最後に、わたしの暗黒時代から愛してやまない
エマソンの言葉を添えて。
No one suspects the days to be God.
(その日その日が神であるということに思い至る者はいない)
読んでくださって、ありがとうございました!
怒涛の夏休み。。。
をなんとか乗り切ろうとするうちに、
前回の「柔らかくしなる、「自分軸」の作り方②」から1か月も
経ってしまいました。申し訳ないです。
今回は、「自分軸と、時間」について語るという予告をしたのでした。
自分軸を作ることと、時間、です。
軸と、時間がどう関係があるのでしょうか?
***
この前、「委ねるを学ぶ」というテーマでヨガクラスを担当したのですが、そこで話したこと。
私たちはいつも全体の一部なのですが、それを忘れてしまうことがある。
家族や友達、人間社会の中の一部であること、
風や光、植物や動物など自然の中の一部であること、
それからもうひとつ
生まれてから死ぬまで、一直線に進む時間の一部を「今」生きているということ、
もっと言えば
おじいちゃんやおばあちゃんよりもっと前の世代から連綿と続く命の道の一部を生きていること、
子どもや孫やもっと先の世代の命の道の一部を生きていること。
時間軸の中でも、私たちは「全体の一部」です。
人生は自分の力で切り開いていくものですが、
その自分自身が全体の一部であるということを忘れてしまうと
人生がうまくまわらなくなっていくことがあります。
たとえば、役割をすべて背負いすぎて他人に委ねられないと、
結局自分が大変になってしまう。
(主婦なら、洗濯干しや収納問題を家族に任せられん!ということよくありますね)
自分は全体の一部なのだから、と手放せることは手放して、流れに身を任せると
人生がうまくまわりはじめることはよくあります。
たとえば、「木のポーズ」。
なかなか立てないと言う方は多いです。
「今」立てないと思うと、焦って呼吸も浅くなるけれど、
長い時間軸のなかの一部「今」は、立てなかった。
明日は立てるかも。明日がだめでも、1か月後には。
と思うことが出来れば、
きっと少なくとも「今」落ち着いて呼吸は出来ると思います。
時間軸の中でも、その一部を「今」生きているという実感が持てると
人生は流れはじめるように感じています。
(この後すぐ、「楽観的になれってことですか?」という質問が出て… 笑
抽象的な話をわかりやすく説明するのって難しい。私の課題です)
わたしの例を話せばわかりやすいでしょうか??
子どもが朝、なかなか起きなくて時間がなくて焦っているとき
イライラしがちですが、そんな時に
子どもの身体を触ってその感覚を味わっていると、
「この前まで赤ちゃんだったのになあ・・・」とじわじわ湧いてくる気持ちに気づきます。
時間軸を少しずらしてみたのです。
そうすることで、遅刻は遅刻で変わらないのですが(笑)
怒涛の朝時間が優しいものに変わったことが何度もあります。
今、この瞬間は、遅刻しそうで大変だけど、
一瞬、「わたしは過去から未来に続く今にいる」、という事実に気づけば
いろんな厳しい事実が和らぐことがあります。
******
前回、「わたしは折れない自信がある」と書いたところで
実はぞくっとしたのです。
きっと、人生には折れてしまったほうがいっそ楽、ということが
いくつもあるでしょう。
それでもギリギリのところで折れないで堪えるのは、本当に大変なことだと思います。
もしそういう状況の方が読んでおられたら、
是非、折れない心を育てられない自分を責めるのではなく、
胎児のようにまあるくなって
自分の心臓を守りながら、眠ってください。
わたしにもそういう時代がありました。
あの時の暗い暗い、生きてるのか死んでるのかわからない
繭の中にいる蛹のような安心感は忘れがたい記憶です。
それでも1年したら動きたいと思うようになって、
浅い呼吸のまま、一生懸命、外を走りました。
そのあと、ヨガに出会いました。
**********
ヨガのポーズで、苦手なもの、力が必要なもの、
バランスをとらなければならないもの の
前にくると
「ふ~…、よし!!」という気持ちで挑むことがあります。
気合が必要なのです。
出来ないのではないかという不安もよぎります。コワイ、とか。
でも、いざそのポーズに入って、力強く呼吸をしていると、意外といける。
「集中力」にはまだ余裕があって、
もう少し呼吸の最後をしっかり吐ききれたり、
プレスポイント(クリパルヨガの手法です)を意識することで
時間は確実に、
1秒、2秒、と過ぎていきます。
この前、クラスでも力強いポーズをやると宣言した後に、
「緊張しますね」
と言ったら、何人か、うんうん、とうなずいてました。
「大丈夫です、呼吸があれば怖くないですよ」
と励ましている自分がいました。
私の体験から出てきた言葉です。
そうやって呼吸や集中する身体の感覚を通して、
「怖れ」と向き合い、
取るに足らない相手だということを
何度も何度も経験的に学んできたのです。
自分が乗り切れたという体験、それから
時間とともに「怖れ」が消えていくという体験が、
わたしの自分軸をつくっているという気がします。
奇しくもこれを書いている今現在、
メンタル的にはだいぶ低空飛行気味なのですが
この経過がどうなるかな~と
わくわくしながら見ている自分もいるのです。
まさに、しなっております。しかし、ぜんぜん折れてはいない。
今ダメだから全部ダメではなくて、
時間を味方につけて、欠点や苦い経験を、未来への可能性に変えていく。
もちろん人生はまだまだ手ごわいけど、
少しずつ生きる知恵をつけてきたのだなと思います。
**********
ええと、少しは伝わるように書けているでしょうか。。。
最後に、わたしの暗黒時代から愛してやまない
エマソンの言葉を添えて。
No one suspects the days to be God.
(その日その日が神であるということに思い至る者はいない)
読んでくださって、ありがとうございました!